○庄原市の記念物一覧と他地域の記念物についてはこちらから
史跡一覧
国指定
名称 | 地域 | 種類 |
佐田谷・佐田峠墳墓群 | 庄原 |
天然記念物一覧
国指定
名称 | 地域 | 種類 |
船佐・山内逆断層帯 | 庄原 | 地質鉱物 |
県指定
名称 | 地域 | 種類 |
蘇羅彦神社の杉 | 庄原 | 植物 |
横目堂のイチイ | 庄原 | 植物 |
諏訪神社のシラカシ林・コケ群落 | 庄原 | 植物 |
史跡
佐田谷・佐田峠墳墓群
読み方 | さただに・さただおふんぼぐん |
指定 | 国指定 |
種別 | 史跡 |
種類 | |
指定年月日 | 令和3年10月11日 |
所在地 | 庄原市宮内町、高町 |
構造形式 | 弥生時代中期末から後期前葉 四隅突出型墳丘墓3基 方形台状墓4基 方形周溝墓1基 |
○本墳墓群は、弥生時代中期末から後期前葉(紀元前1世紀~1世紀頃)にかけて築造された8基からなる墳墓群である。
○弥生時代中期末には古相の四隅突出型墳丘墓を含む多様な形態の墳墓が、墓坑の掘削・埋葬と墳丘の盛土を繰り返すことで徐々に構築されている。また、墓坑は並列に配置され、主に在地系の土器が周溝に据えられる。
○弥生時代後期初頭以降には墳形は方形台状墓が主となり、墳丘の構築後に墳頂部から墓坑が掘り込まれるようになる。また、大型墓坑を中心に、周囲に他の墓坑が配される墳墓が現れるなど、明確な中心埋葬がみられるようになる。それに加え、吉備系の土器が使用され、墓坑上に土器が供献されるようになる。
〇日本列島において首長墓が出現する弥生時代中期から後期にかけて、墳丘築造と埋葬の関係、埋葬施設の配置、墳墓祭祀の変遷が同一の墳墓群の中で明らかになった事例であり、地域間関係の展開と有力者集団内の構造の変化の実態を知る上で重要である。
▲上へ戻る
唐櫃古墳
読み方 | からびつこふん |
指定 | 県指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | |
指定年月日 | 平成5年2月25日 |
所在地 | 庄原市川西町 |
構造形式 | 前方後円墳 全長 48.6 m 後円部の直径 28.8 m 高さ約6 m(南側) 横穴式石室 |
○本古墳は丘陵の先端に近い緩傾斜面に平行して築成された前方後円墳で、古墳時代後期(6世紀後半)のものである。
○主軸を東北東-西南西に置き、丘陵先端側に前方部を作る。主体は後円部に作られた横穴式石室で、北-南に主軸をとり、南に開口する。
○広島県における前方後円墳のなかで、横穴式石室を内部主体にするものはきわめて少ない。庄原地域に限っても約30基の前方後円墳のうち、本古墳と投石古墳(全長約17m)の2基にすぎない。本古墳の横穴式石室も全長10mをこえる大型の部類に入り、貴重である。
▲上へ戻る
旧寺古墳群
読み方 | ふるでらこふんぐん |
指定 | 県指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | |
指定年月日 | 昭和59年11月19日 |
所在地 | 庄原市掛田町 |
構造形式 | 5世紀半ばから後半 前方後円墳(第1号)1基 円墳 11基 |
○本古墳群の年代は、第一号の古墳の形態的特徴からみて5世紀後半頃と推定されるが、第二号古墳は一部が一号古墳造成の削平面にかかって造られているところからみると、第一号古墳より新しいものと考えられる。
○備後北部の山間地帯のうち三次・庄原の両地域には、多数の古墳が分布するが、三次地域では帆立貝形古墳が多いのに対して、庄原地域では前方後円墳が集中する。本古墳群は、その中で備後北部最大規模の前方後円墳を中心とした古墳群として注目される。
▲上へ戻る
瓢山古墳
読み方 | ひさごやまこふん |
指定 | 県指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | |
指定年月日 | 昭和17年6月9日 |
所在地 | 庄原市東本町 |
構造形式 | 前方後円墳 全長 36m 後円部径 22m 後円部高さ 4m 前方部幅 17.8m |
○古墳時代中期(5世紀)に築造された前方後円墳と推定される。周囲には円筒埴輪がめぐらされた葺石が葺かれている典型的なものである。なお、この古墳の周囲には大小数基の円墳が存在していたが、現在では見ることが出来ない。
○庄原市内にはこのほかにも約91の古墳群が存在しており、その中には数基の全長40~50mに及ぶ前方後円墳も含まれており、県北部でも有数の前方後円墳が集中する地域となっている。その規模・分布状態から見て、この地方には古墳時代にはすでに多くの人が住んでいたことを証明するものである。
▲上へ戻る
亀井尻窯跡
読み方 | かめいじりかまあと |
指定 | 県指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | |
指定年月日 | 昭和42年5月8日 |
所在地 | 庄原市上原町 |
構造形式 | 奈良時代の瓦窯跡ロストル式平窯 全長 3.25 m 最大幅 2.0 m 高さ 0.3 m以上 |
○庄原市西郊の盆地北側の丘陵の先端近くに位置し、窯は小さな谷に直交して築かれている。
○羽子板状の平面形をなした平釜で、西側が燃焼室、東側が焼成室となり、四本のロストル(分焔柱)が残るが、両者の床面の差はなく、やや特異な形態である。窯の中から格子目(こうしめ)・縄目のたたき目をもつ平瓦ならびに複弁の軒丸瓦が出土し、とくに軒丸瓦はいわゆる「水切り」をもつもので、三次市寺町廃寺に共通した形態が注目される。
○窯跡の西側には「法塔崎」と称される平坦な丘陵がつらなり、中央に基壇状の高まりがあり、その縁辺から窯跡と同様な瓦が出土する。遺構の性格は明らかにされていないが、これに関連した遺跡と推定される。
○平窯形式の瓦窯としては広島県で最初の発見であり、全国的に見ても珍しいものである。
▲上へ戻る
甲山城跡
読み方 | こうやまじょうあと |
指定 | 県指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | |
指定年月日 | 昭和46年12月23日 |
所在地 | 庄原市本郷町 |
構造形式 | 全山城郭遺構が残る。 城跡の第一郭から第三郭までを指定。 |
○戦国時代(16世紀)に出雲の尼子氏、安芸の毛利氏と肩を並べた備後国北部の有力国人領主山内首藤氏が本拠を置いた山城である。同氏は、地毘庄の地頭として鎌倉時代末(14世紀前半)にこの城を築いてからのち毛利氏に帰属し、慶長5年(1600)に毛利氏と共に萩に移るまでこの城に拠っていた。
○城の北部は西城川が流れ、南は甲山門田(高山門田)と呼ばれた水田をもった谷盆地に臨んでいる。この城の規模は大きく、多くの郭が各支尾根に連なっている。
○中腹に山内氏の菩提寺であった円通寺がある。
▲上へ戻る
鍬寄1号古墳
読み方 | くわよせ1ごうこふん |
指定 | 市指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | |
指定年月日 | 昭和38年3月30日 |
所在地 | 庄原市本村町 |
構造形式 | 横穴式石室 石室部分 長さ:12.00 m、高さ:2.20m、幅:2.50m |
○蘇羅彦神社東寄りにある横穴式石室墳。
○本古墳は現存の部分だけでも市内最大の規模をもつ。土はめくられ、 羨道も石を少し残すだけになっているが、元はずいぶん広大なものであったと思われる。
○付近にも多くの古墳があり、総称して「鍬寄古墳群」という。これらの古墳が築造された当時のこの地方は、砂鉄を利用した鉄の生産が盛んであったことが知られており、被葬者の多くが鉄生産とのかかわりを持っていたと考えられている。
▲上へ戻る
山内首藤家墓地
読み方 | やまのうちすどうけぼち |
指定 | 市指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | |
指定年月日 | 昭和52年3月26日 |
所在地 | 庄原市本郷町 |
構造形式 |
○この古墓は甲山城主山内氏のもので中世特有の土盛墳である。
○幕末期には九推と記される(庄原市史)が現在は五推が形をとどめる。その一つの上に宝篋印塔が建ち「宝持院殿長快妙通庵主(通資の法名)為甲山城山内首藤家諸霊無上大菩提」「願主長州○○三○○施主○○山内○○享和二年月吉日」と解読できる。この施主は長州に下った元資の裔で享和二年から七年後に没した就資かその養子房通と推定され、形はその時代の形態と特徴を備えている。
▲上へ戻る
天然記念物
船佐・山内逆断層帯
読み方 | ふなさ・やまのうちぎゃくだんそうたい |
指定 | 国指定 |
種別 | 天然記念物 |
種類 | 地質鉱物 |
指定年月日 | 昭和36年5月6日 |
所在地 | 庄原市山内町 |
構造形式 |
○船佐・山内逆断層帯は、安芸高田市高宮町船佐と三次市畠敷~庄原市山内町間の2つの異なる地域の逆断層地帯を合せて「船佐・山内逆断層帯」として指定された。
○約6430万年前から180万年前に相当する第三紀層は、一般に傾斜15°内外の極めて傾斜の緩い傾斜角を示すのが普通である。しかしこの露頭では、元来下位にある第三紀の基底礫岩層が緩傾斜の断層面を境にして上位の砂岩層の上に押し上げている。層理面は断層面に近づくにつれ急傾斜し直立、更にあぶみ状に逆転し、この断層が逆断層の性格であることを示している。
○船佐・山内逆断層帯は、中国山地で最初に確認されたものであり、洪積世という最新地質時代の衝上性断層として中国山地形成史を解明する上で重要な学術的価値を持つ。
▲上へ戻る
蘇羅彦神社の杉
読み方 | そらひこじんじゃのすぎ |
指定 | 県指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | 植物 |
指定年月日 | 昭和28年4月3日 |
所在地 | 庄原市本村町 |
構造形式 | 胸高幹囲 5.5m(右側)、5.2m(左側) 根回り周囲 7.6m |
○蘇羅比古神社は本村の集落の奥まった山ぎわにあり、その境内には主として杉からなる見事な社叢が見られる。
○境内には目通り幹囲2.0m余に達する巨杉が8本見られるが、参道の左右にある2株は特に巨木である。
○他のスギもこの2株よりもわずかに小木というだけで、この付近ではまれに見るスギの巨樹叢である。
▲上へ戻る
横目堂のイチイ
読み方 | よこめどうのイチイ |
指定 | 県指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | 植物 |
指定年月日 | 昭和48年3月28日 |
所在地 | 庄原市川西町 |
構造形式 | 胸高幹囲 1.9m 樹高約7m |
○本樹は、横目堂の前庭の小高いところに生育し、樹高約7m、胸高幹囲1.9mである。
○当初はキャラボク型に仕立てられたものと推定されるが、現在は北面から東南にまわる部分をしめる半球形の樹冠を呈している。樹幹上には多数のコケ類が着生している。本樹は人里近くに生育するイチイとしては県内有数の巨樹である。
○イチイとして指定されているが、葉のつき方などからキャラボクの亜種と考えられる。キャラボクとしては、国内有数の大きさを誇る。
▲上へ戻る
諏訪神社のシラカシ林・コケ群落
読み方 | すわじんじゃのシラカシばやし・コケぐんらく |
指定 | 県指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | 植物 |
指定年月日 | 昭和48年3月28日 |
所在地 | 庄原市高門町 |
構造形式 |
○本社叢は中国地方内陸部を代表する常緑広葉樹のシラカシのほぼ純林ともいえるもので、その外形はほぼ半球状を呈し、周辺の一部にはマント群落がよく発達している。
○社叢内部に発達するコケ類は50数種に上り、社殿周辺の広場および巾2~3mの環状道路に発達するコケ群落は、人為的に発生したものとはいえ実に見事なものである。
▲上へ戻る
ヒノキ
読み方 | ヒノキ |
指定 | 市指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | 植物 |
指定年月日 | 昭和34年1月30日 |
所在地 | 庄原市一木町 |
構造形式 | 目通り幹囲 4.8 m |
○ヒノキはスギとともに枝岐かれをしないで直上して伸びる性質があるが、本樹は地上3m辺りから四支幹に分岐しており、このような樹形は類例が少ない。そのため、人々はこの白房神社のヒノキを異様とみて、神木故の神業として畏敬し、信仰的な名木となった。一方で、昔は神木を植栽するとき数本の寄せ植えをする習慣があったが、この場合同じように成長して合体し、一木を形成することは珍しいことではあるものの、有り得ることである。
○加えて、本樹はヒノキとしては県内第三位の巨木でもある。
▲上へ戻る
天満ガ丸神社社叢
読み方 | てんまがまるじんじゃしゃそう |
指定 | 市指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | 植物 |
指定年月日 | 昭和50年7月7日 |
所在地 | 庄原市川北町 |
構造形式 | 1. 杉:樹高 39.50 m、胸高幹囲 4.20 m 2. 杉:樹高 37.50 m、胸高幹囲 3.60 m 3. 杉:樹高 40.00 m、胸高幹囲 4.58 m 4. 杉:樹高 29.50 m、胸高幹囲 3.74 m 5. 杉:樹高 34.00 m、胸高幹囲 3.90 m 6. 杉:樹高 40.00 m、胸高幹囲 3.90 m 他 |
○天満ヶ丸神社の社叢は、胸高幹囲6.86 mの杉木を筆頭に代表的なもの84本(杉、松、桧等)からなる樹木群である。
○古記録によれば、天満ヶ丸神社は寛文元年(1661年)三次藩主浅野長治により創建されており、これらはその時既に自生していたものと思われ、学術的に極めて貴重である。
▲上へ戻る
藤木の桜
読み方 | ふじきのさくら |
指定 | 市指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | 植物 |
指定年月日 | 昭和52年3月26日 |
所在地 | 庄原市西本町 |
構造形式 | エドヒガン 胸高幹囲 4.4 m 樹高 14 m |
○エドヒガンは本州、四国、九州、朝鮮半島、中国大陸等に分布し、樹齢が長く大木となる。花はやや小さく淡紅色で野生種のうちでは開花が早い。
○広島県でも有数の巨木である。
▲上へ戻る
実留下谷のセンダン
読み方 | さねどめしもだにのセンダン |
指定 | 市指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | 植物 |
指定年月日 | 平成21年3月26日 |
所在地 | 庄原市実留町 |
構造形式 | センダン(センダン科) 根回周囲 4.11 m 樹高約20 m 地上約0.6mで7支幹に分岐(指定時) |
○センダンは本州の暖地・四国・九州・沖縄に分布しており、初夏に美しい薄紫色の花を付ける。県内には分布していなかったが、移植されたものの実生を各地で見ることができる。主な用途としては、公園や街路の植栽樹として植栽され、また材は赤褐色で家具材等に使われている。
○平成27年、台風の影響によって2つの支幹が折損したが、その後も樹勢は良好である。
▲上へ戻る
永明寺のカヤ
読み方 | えいみょうじのカヤ |
指定 | 市指定 |
種別 | 記念物 |
種類 | 植物 |
指定年月日 | 平成21年3月26日 |
所在地 | 庄原市上原町 |
構造形式 | カヤ(イチイ科) 根回周囲 6.3 m 胸高幹囲 4.1 m 樹高約22 m |
○カヤは、宮城県以南の本州・四国・九州に分布し、山地に自生する。雌雄別株で、家屋付近に植栽されたものは雌株が多く、種子から油をとって、食用としたり、灯火用として使われた。また、材は特有の香りがあり耐朽性が高く、建築材に使われている。特に、巨樹の正目材は碁盤や将棋盤として珍重されている。
○本樹は直幹の巨樹で、希少価値が高い。
▲上へ戻る