総領町出身で、ようかんの製造販売を行いながら、地域の人たちとの生活を楽しむ池田さんに話を伺いました。
▼池田 喜志子(いけだ きしこ)さん(右から2番目)とご家族
総領町で生まれ育つ
私の実家は、明治時代から総領町でようかんの製造販売をしています。昔は新聞販売も行っていたため、私が小学生の頃には毎朝、新聞配達を手伝い、休みの日には、ようかんの包装などを手伝っていました。
私はスポーツが好きだったので、高校卒業後は、福岡県にある体育系の短大に進学しました。
短大卒業後、広島市内のスポーツ用品の会社に就職しました。その頃、母とよく連絡を取り合っていたのですが、実家の仕事を手伝ってもらいたいと言われ、総領町に帰り実家の仕事に携わるようになったのが、今から27年前です。その後、町内出身の夫と結婚し、2人の子どもに恵まれました。
実家の仕事だけでなく視野を広げるため、市内の鮮魚店や総領自治振興区の地域マネージャーなど、さまざまな仕事をしました。
またPTAの活動や地域の行事にも積極的に参加したことで、さまざまなことを学びました。たくさんの人と知り合うことができ、今でも会えば声をかけてくださるので、楽しく暮らしています。
地元の人に支えられて
実家のようかん販売は、お客さんから元気をもらいながら、今でも家族で続けています。
また、地域の寄り合いには、毎回参加しています。地域の人にも恵まれ、みんなと過ごすこの時間が、今の生活のなかで1番の楽しみになっています。
総領町に帰ってきて、楽しいことも、苦労することもありましたが、そのたびに、家族や地域の人が支えてくれたことに本当に感謝しています。
これからも新しいことにチャレンジしていきたいです。