進学や就職で、一度は地元を離れた瀬尾さん。現在はUターンし、東城町で農業や加工所を営んでいます。Uターン後の生活や、地元に帰ってきて感じたことについて話を聞きました。
▼瀬尾裕希(せおゆうき)さん
きっかけは母からの電話
Uターンのきっかけは7年前、福山市で飲食店を経営していた頃でした。母から「あんた35になったら帰ってくるって言ったよね?」という電話があり、父も体調を崩していたことも重なって、東城へ帰ることを決断しました。
農業への挑戦
帰って来た当初は、カフェとバーをしていましたが、色々あり、フリーに。どうしようかとふらふらしていたら、自宅の周りの休耕田や耕作放棄地が目に入り、これを活かさない手はないと思い、全く経験のない農業を始めました。田舎は農業のこととなると先生の宝庫で、資材や農機具は借りたり、譲ってもらったりし、周りに助けられながら、なんとか形にすることができました。農業を続けていたところ、地元で加工所を経営している夫妻に出会い、手伝うことに。実際に経理業務に手を付けてみると、その取扱い量の多さに驚き、何もないと思っていた地元にこんなに頑張っている会社があったのかと、感動しました。現在は、夫妻からの誘いもあり、この加工所を引き継いでいけるよう準備を進めています。
人とのつながり
当初は東城の町中でカフェとバーをしていたので、そのつながりで、しょうばら縁結び事業のお手伝いをし、縁結びコンシェルジュとしても活動することになりました。田舎は学校や病院が遠いことや、草刈り、地域の役割といった仕事で、とても忙しく大変なことも多いですが、「トラクターが欲しいな~」と言って回れば破格で卸してもらえたり、「ハウスが欲しいな~」と言っても回れば「もってけ!」と譲ってくれたり、人の数は少ないですが、関係は都会に比べより密接になっているような気がします。
まちをつくるのも人
お店をしていた関係で、地域のお祭りに運営側で誘っていただきました。子どものころは、お祭りは夏になればやってくるものと思っていましたが、運営側にまわることで、人の思いや繋がり、汗、つないできた経験で作られているんだなと感じました。人とのつながりや人の思いで故郷は形づくられていたんだなと実感しました。「誰も帰ってこない」「町はよくならない」といった言葉を耳にします。確かにどうしようもないこともありますが、自分ひとりではできなくても、できる人がいる、きっと協力してくれる!と。あきらめずに頑張っていきたいです。