「お通り」との出会い
私は広島市で生まれ、小学校時代を庄原市で過ごした後、中学校からは庄原市を離れました。その、広島市内で就職して働いていた時、東城町出身の夫と出会い、結婚を機に東城町に移り住みました。その時、近所で優しく受け入れてくれた女性のお二人が「お通り」の復活に関わっていた人でした。
このお二人は、約30年前から町内の人と協力し、提供された着物を直したり守ったりしてきた中心的な人です。その人から、着付けを手伝ってもらえないかと声が掛かり、少しでも力になれればと思い、以来毎年「お通り」に関わるようになりました。
思いを引き継ぐ
現在は引き継いだ新たなメンバーで事前に母衣の状態を確認し、衣装一式を揃え着付けをします。
小母衣を背負った小学生が数年後、大母衣を背負い参加してくれると、自分たちが大切に受け継いできたものが、子どもにも伝わっているのを感じて嬉しくなります。
着物は古いものほど重く、母衣も大きいものは20キロ近いので、背負っている子どもは本当に大変です。それでも東城の町を歩く姿は本当にたくましいです。城山橋で母衣行列が2列に並ぶ光景は壮観で、母衣についている花が重なる様子は本当に美しく、それを見ると裏方は大変だけれどやって良かったと思う瞬間です。 「お通り」で使う母衣や大将人形、着物は大事に保存されてきた古いものもあります。東城は、そういったものを大切に受け継いでいく文化が残っている町だと思います。母衣行列復活に尽力された人の思いや歴史を繋いで伝えていくことが、私にできることだと思っています。